窯場の組織は個人経営の場合、オーナーは「親方」と呼ばれます。いまでもこの“親方”という呼称は使われています。
その下には「窯太郎」と呼ばれる、支配人がいます。
窯太郎は親方の意を受けて、生産する品目や数量を決定し、松薪や粘土、釉薬を手配します。親方も勿論この仕事はします。
窯太郎のもっとも窯太郎らしい仕事は、窯詰めから、窯焚きです。
一窯(ひとかま)上手く焼き上がるか否かは、ひとえに窯太郎の指図に掛かっていて、技量のある窯太郎はひとの尊敬を集めました。
窯太郎の下には、「ロクロ師」がいます。
ロクロ師はロクロの水挽きを専門にして、その他の雑用はしません。それが昔のロクロ師でした。
ロクロ一丁を肩に担いで窯場を渡り歩く、渡り職人もいたようです。
どうして、プライドの高い人たちだったそうです。
ロクロ師の後ろで、細君たちが粘土揉みをしました。気むずかしいロクロ師の粘土揉みは、気骨の折れたことでしょうが、土揉みが付いていると仕事は倍も捗ります。
賃仕事でしたから、数が捗ることは一家の重大事でした。細君たちは赤子を背負っても頑張りました。
一番下であらゆる雑用をこなす人たちは、「地走り」と呼ばれます。
水挽きから削りと、形の成るのが全てロクロ台の上でなされるのに対して、その後の作業はすべて地面の上で行われるので、そう呼ばれたのでしょう。
おもに釉掛け、高台の尻拭き、窯出し後の手入れ、そしてそれらに関わる一切の雑用です。
実際、窯場には数限りもなく雑用が必要で、いちいち書き出すことは出来ますが、考えただけでもうんざりする数ですから、書きません。
窯太郎や、ロクロ師、地走りなどの呼び名は、今では殆ど使われていません。
人間の手が機械に取って代わられてから、こういう名称は消えてしまって、職種もはっきりしないような、全員“地走り”になってしまいました。
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