人間の感覚は自分で意識するよりずっと鋭敏で、モノの重さ、それも材質との相性による重さを、瞬時に感じ取るようです。
例えば、器胎が薄過ぎる陶器があるとします。
そうすると手に持った瞬間に、軽すぎる→脆い→不安、コワイ・・ と五感は警告を出す。
これが磁器なら、同じ重さでもそうは感じない。
材質によって妥当な重さというコトを、瞬間的に感じている。
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軽くなくては、と言う題名ですが、正確にはモノは適した重さに作らなければならないということです。
「適した」などと曖昧な表現ですが、その曖昧さの上に仕事が成り立つためには、自分の感覚がいつも意識されている必要がある。
意識化された感覚が、曖昧な言葉 「適した」を、一定の範囲内に収めてくれるわけです。
生き生きと意識化された感覚が、経験則によって程良い重さを“うつわ”にもたらす。
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器胎に無駄な厚さを残さず、必要な厚みを保ち、カンナの削りで誤魔化さず、誤魔化すことを予定にも入れず、そういう者でありたい。(^_^)
“袋物”と呼ばれる徳利などは、中に液体のあるなしを感じられる程度に軽くなくてはいけません。急須などもそうです。
こうした袋物は器胎が薄くても、球状に閉じているので、応力の分布から丈夫なものです。
思い切って薄くしても良い位なものです。
反対に陶器の皿などは、縁から高台際に向かう器胎の厚さは、連続的に滞りなく厚みを増して行かなくてはならない。
これが順当でないと、焼成時の高温に耐えられず高台際で落ちたり、高台内の見込みが落ちてしまったりする。
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抹茶碗などで手取りを軽くするために、高台際から腰にかけての器胎を必要以上に薄くすると、お茶碗を扱うとき、手にチカッとするような熱さを感じます。
“適した”厚みというものは、結局は眼にも手にもヒューマンなものでしょう。
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