「窯出しのときは楽しみでワクワクするでしょうね」、とよく聞かれる。楽しみでないこともないが、私は大体不機嫌になります。
手作業による焼き物の仕事は、数多くの工程を経て窯になるわけですが、工程の数を多く経るにしたがい、作る側の期待も多くなるのが人情でしょう。
期待でイメージがふくらめば、ガッカリする率も高くなると言うものです。
従って、窯出しのときは覚えずムッとすることも多いというわけです。
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そんなことで、もう見たくないと言うモノが出て来ることは珍しくない。
窯のわきに放り出してしまいますが、それでも一週間もすると窯も冷えて、ついでに頭も冷えてきて、なんとかならぬものかと放りだした作品を眺めるわけです。
そんなことを永いこと繰り返して、気がついたのは、どんなモノも仔細に見れば、どこかに取り上げて良い部分があるものだと云う事です。
ほんの小さな所に意図しなかった結果があるかも知れない。
いわば当の焼き物やを超えるモノがそこにある。
もし、そこに良いモノを見ることが出来るならそれは焼きものやへの、窯からの贈り物ではありませんか?
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悪い部分も直す為のよすがになるとか、そういうことではなく、その失敗作のなかに新しい美しさを発見しようというのです。
原因を追及するというなら、それは果たされたとしても、あなたが日常考えること止まりでしょう?
そうではなくて、あなたが持っていたにもかかわらず、あなたが想いもしなかったもの。
あなたのなかにあって、自分では気がつかなかったものを、失敗作を触媒として、現実のモノのうえに見ようというのです。
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発見するというのは見る側にそれに感応するセンサーが元々あるからだ。
だからそれはあなただけへの贈り物になるのです。
それを受け取らないと云う法はない。
釉薬の項でも書きましたが、釉薬を使い散らさずに、つまり外からきたものだけに関心を寄せず、自分のなかにあるものをも意識化しましょう。
あなたのなかに何かの芽があるから、発見できる。
外から来たものばかり完成させようとせず自分の内にあるものを洗い出そう。そんな意図でした。
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パカーンと小気味よく壊して、なにかに決然と別れを告げる。そういうのも勿論ありですが・・・。
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