先ず定義を・・・。
「作るモノ」とは、作者が意図してその通り制作したモノ。
「出来たモノ」とは、作者の意図とは異なって出来てしまったモノ。
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焼きものやには、壺を作るときに、ロクロ台に座る前に形を決めている人と、ロクロを挽きながら考えている人と2種類いるそうです。
作る過程で自分の仕事の中に新しい発見をしてしまって、途中から方向が変わる融通無碍さ、必要だとは思う。
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しかし、そういうのはそれで記憶にキープして置いて、取り敢えずは当初考えたようにやってみる。これが大切です。
そうしないと、いつも適当な所で仕事をしてしまい、自分の考えは煮詰まらないと思うのです。
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それとはまた別に、今回のテーマの中には、作品のもたらす感じに、ダイナミックを含んでいるのを好む人と、スタティックな感じを好む人の違いがあるようにも思う。
私自身は、土を動かした手の痕跡が残っているから動的だなどとは、単純には考えない。
味っぽさを即“面白い”とも受け取らない。
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スタティックな感じのなかにダイナミックが含まれている。
作品のなかに人のいるのは感じるけれど、それは自然木のように立って、サラッとしている。そんな仕事が好きだ。
すこしテーマからはずれた。
ともかく成形では、“出来たモノの面白さ”を云うことが、作るモノと出来たモノの関係では、自分の逃げ道になってはいないよ!と、
そう言い切れるようになりたいと考えています。
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